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眼鏡

November 25th, 2008 / Category: Diary, Media

先日,生まれて初めてメガネを買った。というか買わされた。

これがちっとも嬉しくない。まだ慣れていないせいか,目やら頭が痛んで疲れる。困ったことに,日によって疲れ度合いがえらく違う。

でもおかげ様で,「左目が痛いので今日は早めに閉店します」なんてことはなくなりそうだけど。

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言語と文化と

November 12th, 2008 / Category: Media, Social

このところ,はてな周辺で日本語論議が起こっているらしい。3つくらいの記事しか見ていないが,britishstudiesさんの記事が具体事例を交えていることもあり面白かったので,紹介しつつコメントを加えてみる。

いつの時代も知識人は余計な心配をするものであるが,「言語」と「文化」を結びつけるアイディアは,あまりセンスが良いとは言えない。特に,まるで言語という土台の上に文化が乗っかっているかのように考えることは,言語がなくなったらぜんぶ壊れてしまう・・・という発想に繋がる。しかしスコットランドの事例が示すように,文化とはそのようなものではない。……私は「ナショナリスト」ではないが,もしあなたがナショナリストであるとすれば,表層的な言語が変わったからといって消失しないような文化を作っておくのが,ナショナリスティックな知識人の今日的な使命だと信じるべきではないだろうか。
–ブリスタ@はてな

「「言語」と「文化」を結びつけるアイディア」には,僕も漠然とではあるが違和感をもっていた。もっといえば,その結び付け方も問題で,土地(≒空間)が一番下の土台にあって言語がその上に乗り,さらにその上に文化がある,というような,上部構造‐下部構造的な見方は感心できない。とくに社会学者周りがやっていると。こうした解釈図式はたぶんいまだに根強くて,そのあたり,国語審議会のみなさんも,モグリなカルスタポスコロのみなさんも同根な気がする。

わざわざ言うまでもなく,日本語(方言含む)だって他の言語だって常にミクスチャーみたいなもんだったし,これからもそうやって変化していくだろう。二百年くらい前の人から見れば,今の僕らの言葉はほとんど違う言語を話しているように聞こえるかもしれない。僕らも多分平安時代の人とはオーラル・コミュニケーションなんて,とてもとれないだろう。そんな動的なものに土地所有のような近代的制度のような区分を設けるなんて,ナンセンスだ。
昨今のネット文化の形成のされ方に目を向ければ,その形成にリアルな場所なんて明らかに必要条件ではない。文化や社会関係が作られ,そこに空間を見出すことだって珍しくもない。言葉も必ずしも必要ない(YouTubeみたいに)。

あんまり言い過ぎると,「電子メディア時代は古典時代への先祖がえり」モデルにハマりそうになるのでこの辺でやめておく。でも,メディア論周辺の人の解釈による『想像の共同体』の近代国民国家モデルには,メディア史的には前期近代のむしろ特殊な状況を事後的に切り出すくらいの意味しかないんだろうな。
まー,「言語がなくなると文化がなくなるだ」なんて,常に放っておけというわけではないけど,余計な心配はやめましょうよ。



ところで話は変わるが,いったい何がどうなったら「文化が変わった」と言えるのだろうか?ずーーっと気になっているんだが。

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東京書庫 Book Keep Service Plus

November 11th, 2008 / Category: Diary, Media

昨日ちらっと書いた書庫サービスの感想。当該サービスのURLは↓。結論から言うと,今のところ非常に便利で満足。
http://www.tokyo-shoko.com/bks_plus/index.html

最初に申し込みをすると,45×32×22(cm)の段ボールケースが5箱送られてくる。これに本を詰め(A5版だと1ケースあたり40冊くらい),東京書庫に連絡するとペリカンが取りに来た。配送料は1個500円。着払いで送って請求は東京書庫から銀行引き落とし。普通に送るより多分割安で微妙に勝手が良い気がする。

ちなみにケースには自分で管理番号を記入することになっているが,この番号はペリカンの伝票番号がそのまま使われる。トレーサビリティ上,重複によるミスが少ない合理的な管理方法だな,と感心。

それから2週間弱くらいで蔵書データのCD-Rが送られてきた。ISBNのついた和書であれば,データ作成料金は1冊あたり10円(その他の場合,1冊40円)。形式はXLSファイルと「Book-search」というオリジナルの簡易DBソフト。
XLSは一覧用(箱ごとのファイルもある)で,「Book-search」は登録されたすべてのフィールドの串刺し検索ができる。データのフィールドは,ISBN,書名,著者名,版元名,単価(定価!),ケースの管理番号。発行年と訳者名がないのはちと残念。
ただし,和書の場合はISBNで書誌データを引っ張ってきているようなので,間違いがない。雑誌・洋書などは多分手打ちで,「Deleuze」が「Deleuzu」になっていたりして苦笑。XLSの一部を晒してみるとこんな↓感じ(クリックで拡大)。

感想をまとめておくと,このサービスの良いところは,一般的なトランクレンタルなんかと違って,蔵書DBを作ってくれるところにある。多くの読書家・研究者にとって自分でDBを作るのはなんとも骨の折れる作業だし,どこにどの本があるかなんて,往々にして分からなくなりがちだ。
その点,このサービスでは1冊あたり10円でDBを作ってくれて,どの箱にどの本が入っているか分からなくなることもない。そもそも,カスタマ側ではデータがまとめてDB化されているので,そんなことを気にする必要がない。さらに,1冊単位で取り出し(メール便)ができたり,不要になった本は廃棄までしてくれる。

今回の費用をざっくり計算すると,今回送ったのが200冊くらいで初期費用が\6,500(保管ケース(5ケース)代(\1,500)+DB作成料(\2,500)+配送料(\500×5)=\6,500)。毎月の保管料が\1,250。初期費用が学生さんにはちと重いかもしれんが,サービスの内容からすればコストパフォーマンスは良い気がする。

おかげさまで部屋もすっきり。

Comments

    どもども。またしばらく使ってみて気がついたことがあればお願いします。私の周りでさっそくこのサービスを話題にしたら、やはりかなりの関心の高さを感じます。本は重くて場所を取って、かといって常に参照するわけでもないし、捨てるわけにもいかず、困りものですしね……。

    >britishstudiesさん
    研究者はやはり飛びつきますよねー,これは。今必要なわけではないけど捨てられないという,本への微妙な感情をうまくすくい取ってくれたというか。家の本棚がすっきりしたらすっきりしたで,またその分増えていくわけですが(笑)

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翻訳の倫理

June 8th, 2008 / Category: Media

スタンダールの『赤と黒』新訳(野崎歓訳,光文社)をめぐって論争が起きているらしい。

 「まるで誤訳博覧会」-。光文社古典新訳文庫から昨年刊行されたスタンダールの『赤と黒』について、誤訳が数百カ所にのぼり、全面的な改訳が必要だと批判する書評が、スタンダールを研究する専門家でつくる日本スタンダール研究会の会報に掲載された。MSN産経ニュース

これ自体は,よくある話ではある。僕の周りでも,ルーマンとかフーコーのひどい翻訳が問題になっていて,新訳を出したいけど版権の問題で出版できないんだそうな。だからなぜか僕がいまさらドイツ語の勉強とかしているわけで…。

でもまぁ,ルーマンとかフランス現代思想の翻訳で百歩譲れば仕方ないと思うんですよ。原書の言語に詳しくても,もとの文書がラリってたらそりゃ誤訳にもなるわ。言い換えると,原書の解釈が進んだから,「あれは誤訳だ」って後出しジャンケンもできるようになるってこと。

さて,今回の新訳『赤と黒』の問題は大きく2点。翻訳者の(マネジメントを含めた)能力と,編集者の職業倫理の問題だと思う。前者については,学生に下訳作らせておいて忙しいから原文も見ずに出しちゃった,ってことだと思う。文学の世界のことは全然知らないけど,多分『赤と黒』くらい有名な本なら学界で解釈が固まってるんだろうから,わざわざ読みの多様性を開くような脱構築(笑)はやらんでしょう。ま,憶測ですが。むしろそうでなかったら恐ろしい。

で,僕が一番気になったのは,むしろ後者。以下,出版元の光文社のいいわけ。

光文社文芸編集部の駒井稔編集長は「『赤と黒』につきましては、読者からの反応はほとんどすべてが好意的ですし、読みやすく瑞々しい新訳でスタンダールの魅力がわかったという喜びの声だけが届いております。当編集部としましては些末な誤訳論争に与(くみ)する気はまったくありません。もし野崎先生の訳に異論がおありなら、ご自分で新訳をなさったらいかがかというのが、正直な気持ちです」と文書でコメントした。MSN産経ニュース

ど・こ・が,「些末な誤訳論争」じゃ,このボケ! 些細な点でもチェックして直すのが編集者の仕事だろーが。フランス語が読めないとしても,「訳し忘れ、改行の無視、原文にない改行」(下川茂氏のコメント)くらい気づくでしょ。多分,担当編集者も受け取った原稿をそのままあとの工程に丸投げだったんろうな。そしてこの開き直りですよ。アホ編集者のことも省みず「うちはビジネスでやってて,違法なことはやってないし,学者の世界のことは知らんから勝手にやってくれ」ってこと? 読者の「喜びの声」に満足するだけなら,出版業って世界は(機能的に)いらん。それならリクルートみたいな「なんちゃって出版業」のほうがよほど上手くやると思う(ってか実際そうか)。
 
 
 
この駒井って編集長に鯖折りくらわせたい。

Comments

    今日はH氏の解釈に一票

    私も、文学が専門分野でない翻訳者が下訳を作成し、本に名前が載る翻訳者様が忙しいから訳を一切見ず(あるいはほとんど)、出版社の編集者は仏語が読めないので数字(0が一つ多いなど)など明らかなミス以外は見ていない、そして出版、という流れだと想像しています。
    翻訳者の方(下訳した方ではなく)も悪ければ、質を落としてでも費用を抑え、利益を上げようとする昨今の出版社も悪いと思います。

    >ななし様
    コメントありがとうございます。
    たしかに,人件費抑制→利益確保の結果,質の低下を招くという傾向はあるかもしれません。消費者としては,お世辞にも気分のいい風潮とはいえませんね。
    ただ,一応フォローしておきますと,出版社も慈善事業をやっているわけではないし,(業界全体として)コストを抑制しないと経営が回らない状況になってしまっている,というのも事実です。出版者勤務の知人から聞いた話では,紙媒体の現場はもうどこも火の車で,下手をすると出せる本も出せなくなる状況のようです。
    そうなると,事業戦略を見直せよ,ということになりますが,まぁこれはまた別の問題としてここでは置いておきます。
    また,書籍の内容に最終的に責任を負う主体というのが意外と曖昧で,編集者は筆者(ここでは翻訳者)に対して修正を要求する権利があるわけではないようなのです。言い換えると,編集者が全責任を負う義務があるわけでもない,と。
    それで,何が出版社の問題として残るかというと,翻訳者の選定に関するフィルタリングに関する倫理的責任と商品の問題に関する説明責任,ということになる気がします。思いつきではありますが,仮に商品の内容に関する責任を除外すると,そのくらいしか残らないな,と。しかし,逆に言えば,これこそが出版社/編集者がプロフェッショナルとしての価値を発揮すべきところなのかもしれません。

    当時とは少し認識が違うところがあるかもしれませんが,いただいたコメントに便乗して,2年前の投稿を振り返ってみました(;^ω^)

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